タマネギの常識2

鱗茎には外皮があり、何層もの鱗片が頂芽をとり囲み、鱗片は内側にいくほど肉厚となり、外側のほうが膜状で薄い。

内側は白く、ふじ色がかっていることもあり、外側はふつう赤褐色であるが、紫色のものもある。
球形の鱗茎は、上部がやや円錐形で、下部は平らな形をしている。
ここから円筒状の中空の葉と、先が細く中央のふくらんだ花茎がでる。

この花茎は葉よりも長く伸び、緑がかった白い小花の散形花序をつける。
花は2年目にならないと咲かない。
果実は、半透明の萌果で黒い種子が入っている。

方向転換・・・タマネギの常識

タマネギはペルシアが原産地で、そこからメソポタミアへ入り、やがてエジプトに広がり、地中海地方全域に分布するようになったと思われる。

ローマ人はタマネギを好み、cepaまたはcepulla(この語からイタリア語のcipollaとなった)と呼んでいたが、ローマの農学者コリュメラは、哲学者セネカの言葉から、特別に大きな真珠(unio)という意味をとり、タマネギの名とした。

これがフランス語のオニォン(oignon)となり、英語のオニオン(onion)となった。

白人向けのロックスター

ヘンドリックス自身は黒人でありながら、白人向けのロックスターとして売り出されたのも異例なことだったようです。

白人の若者達にとってスーパーアイドルとなった一方、黒人の公民権運動が隆盛を見せていたアメリカでは、同じ黒人達から「裏切り者」と見なされる面もありました。

そのため、黒人向けの音楽を主体としていたラジオ局などでは、ヘンドリックスの曲は徹底的に無視されたそうです。

Jimi001.jpg

ヘンドリックスは同胞である黒人層に今ひとつ受け入れられないことに悩んでいたと言われていますが、マネージメント側はヘンドリックスをあくまでも白人向けロックスターとして売っていく方針だったとされています。

ヘンドリックスと親交のあったギタリストのジョニー・ウィンターは、ヘンドリックスが敬愛する先輩ブルースギタリストのハウリン・ウルフ(黒人)と共演した際、ウルフから「白人と組んで金儲けをしている奴」と罵られたエピソードを明かしています。

ヘンドリックスはウルフの言葉に黙って耐えていたといいます・・。

派手なステージアクション

ヘンドリックスは演奏技術が高かっただけではありません。

ギターを歯で弾いたり、あたかも男性器のように扱ったりした末、床に叩き付けて火を放つなど、激しくセクシーなステージアクションも人気の要因でした。

また、そのファッションも独特。

ヘンドリックスはミリタリー・ファッションの先駆者です。
古い軍服を着たり、強くパーマをかけた独特のヘアスタイル(エレクトリック・ヘア)をトレードマークにするなど、ファッション面でも注目を集めていました。

そのため「ブラック・エルヴィス」(黒人のエルヴィス・プレスリー)、「ワイルドマン」といった異名も生まれ、センセーショナルな扱いを受けることが多かったようです。

しかし生身のヘンドリックスは、シャイで礼儀正しい人物だったという証言も多いです。

jimi_hendri.jpg

小論文

大学入試のとき、就職試験のとき、小論文を課せられます。

ですから、今の若い子たちは、曲がりなりにも、小論文は書いたことがあるのです。高橋ナツコ氏によると、小論文を「指導」する学校の先生や、大学の教師、会社の試験官たちは、よほどのことでもないかぎり、「小論文」を書いたことはありません。

したがって、「指導」はほとんどなきに等しい、と思っていい状態なのです。

これでは、特別の書く才能に恵まれた人は別として、小論文を書くことができないのは当然です。

『エレクトリック・レディランド』

イギリスでデビューしたヘンドリックスでしたが、モンタレー出演などで母国アメリカで成功を収めた後は、アメリカを本拠として活動するようになりました。

全米をくまなくツアーする過密スケジュールの合間に、スタジオでのレコーディングも続けます。
そして、1968年にアルバム『エレクトリック・レディランド』をリリース!

elect.jpg

これはヘンドリックス・エクスペリエンスとしての最高傑作との呼び声高い、名盤中の名盤です!

オープニングのサウンド・エフェクトから、当時の技術が駆使されて作られています。

スタジオライブ風にヴゥードゥー・チャイルまで。

ロックはこの時代にここまで完成していたのか・・・とビックリするほどの完成度です!

モンタレー・ポップ・フェスティバル出演!

1967年の夏に、ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスはアメリカのカリフォルニア州モンタレーで開催された世界初の本格的野外ロックフェスティバル、モンタレー・ポップ・フェスティバルに出演しました。

jimihennn.jpg

これは同フェスティバルの世話役だったポール・マッカートニーが、「ジミを出さないフェスティバルなどありえない!」と熱心に推挙したためと言われています。
すごい熱意ですよね!

ヘンドリックスはモンタレーで、聴衆を圧倒するほどの演奏と、ギターを燃やすというパフォーマンスを炸裂させて、母国アメリカでも一気にスターダムにのし上がったんです。


エクスペリエンス結成!


ロンドンでオーディションを行い、ノエル・レディング(ベース)、ミッチ・ミッチェル(ドラムス)と共に

ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスを結成し、1966年10月から活動を始めます!

その時に名前を「James(Jimmy)」から「Jimi」に変えました。

イギリス国内でクラブ出演などの活動をしながら、トラックレコードから

デビューシングル「Hey Joe/Stone Free」をリリースし、全英4位の大ヒット!!


jimi.jpg

アメリカの伝統的なブルースを下地に、それまで誰も聞いたことのなかった斬新な

ギターサウンドや卓越した演奏技術を披露することによって、

ヘンドリックスは一般人もちろんプロのミュージシャン達にも大きな衝撃を与えました。

ヘンドリックスの演奏を初めて目にしたエリック・クラプトンは

「誰もジミーのようにギターを弾くことはできない」と言ったとされています。

後年、ジェフ・ベックやクラプトンも、「廃業を考えた」と語っているほど・・・。


ヘンドリックスのステージには連日ビートルズやストーンズなどのメンバーが訪れ、

出演するクラブには長蛇の列ができたそうです。

不安

チャンドラーに渡英を勧められた時に、ヘンドリックスはイギリスで自分のようなブルース系ミュージシャンが受け入れられるか不安だったらしく、イギリスの音楽シーンについて多くの質問を投げかけました。
そうですよね・・・初めては不安ですよね・・。

その時、自分と同系とみなしていたイギリス人ギタリストのエリック・クラプトンの名を挙げて「会わせてくれるか?」とチャンドラーに尋ねているそうです。
チャンドラーは「君の演奏を聴いたら彼(クラプトン)の方から会いに来るよ」と答えています。

素晴らしく賞賛していますね。
さてさて、どうなるのでしょうか^^

俺より目立つな!

除隊後に本格的に音楽活動を始めるが、その頃は無名のバックミュージシャン。
最初の頃は、皆そうですよね^^

アイク&ティナ・ターナーやアイズレー・ブラザーズなど、色々な有名ミュージシャンのバックで演奏をして、全米各地へのツアーにも一緒に行っていたそうです。

一時期は、リトル・リチャードのツアーに加わって、音が大きく衣装やアクションが煌びやかだった事から、リチャードに「俺より目立つな!」と怒られるほどだったそう・・・・。
メインより目立ったら困るかもしれないですが、そういう怒り方は子供っぽいですね^^;

カテゴリー

管理人のお気に入り

宿泊予約
温泉旅館とリゾートホテルの宿泊予約は『やど予約ネット』へ。無料電話 0120-987489 でお受けしております。旅行傷害保険無料加入特典あり。会員登録で5%のキャッシュバック。
医院 開業
医師の求人・転職がご希望なら、業界トップクラスのリクルートドクターズキャリアへ。医師専門で転職支援歴30年。常時10,000件以上の医師募集求人をご用意、専任のキャリアアドバイザーがあなたに合った厳選求人をご紹介し、転職を徹底サポートします。
  • 藤沢 物件
  • 湘南エリアで住まいをお探しなら湘南住宅ナビへ!湘南・藤沢・鎌倉・逗子・葉山・茅ヶ崎等の海の見える物件を多数ご紹介致します!
脱毛 福岡

福岡で脱毛をお考えなら赤坂クリニック。専門フロアがあるのは福岡でここだけです。3機種の医療レーザー脱毛で一掃!期間のかかる薄い毛まで確実に針で仕上げる自信があります。全身脱毛もお任せ下さい。